「しかる」と「いかる」 [人材育成]
職場で部下が上司に怒られる場面はよくあります。社歴が浅い人ほど、怒られる頻度も高いものです。業務遂行能力が十分に備わっていないために、指導を受ける機会がどうしても多くなりがちです。
当然、怒られる方は、あまりいい気分ではないでしょう。自分にとって耳が痛いことを指摘されるのですから、できれば聞きたくないというのが人情です。
「何が悪かったのか、自分自身が一番よくわかっているのに・・・」
そう主張したい人もいるのでしょうが、しっかりとセルフコントロールできる人はそう多くはいません。人はみな、怒られながら成長していくものです。
もし若い頃から怒られた経験がないというのであれば、それはよほどストイックに自分を律することかできる人か、指導することさえ放棄された人かのどちらかでしょう。
「怒る・怒られる」ということばは、広義に使われることがよくありますが、少し意味合いを狭めると、「叱る・叱られる」と「いかる」に分かれます。
人を指導・教育する際に使われるべきなのは前者の「叱る」です。子どもや生徒、学生、後輩、部下などを正しい方向へ導くために「叱る」のです。
親や先生、先輩、上司は成長をして欲しいとの期待があるからこそ、叱ってくれるのです。「叱る」には相当のパワーが必要で、相手に対して愛情がなけばなかなかできません。
「どういう風に指導すれば、この子(人)のためになるだろうか」と、あれこれ真剣に考えてくれているはずです。ですから、叱る方は体力だけでなく、知力、気力の消耗も激しいのです。
このことは、叱られる側の人も認識しておいた方がいいでしょう。
ところが、やっかないなことに「叱る」と「いかる」がよく似ていて、判断がつきにくいという問題があります。ある程度経験をつめば、その違いにも気づきますが、若い人にはなかなかわかりにくいものです。
”いかる”人は、相手の成長を考えた指導ではなく、自分自身のうっぷんを晴らすためにいかる場合が多いものです。
「また、俺が部長に怒られるだろう」、「どうして、お前の尻ぬぐいをしないといけないんだ」というような気持ちが見え隠れしているものです。
本人は意識していなくても、まわりから見ればそれがわかってしまうから不思議です。そして、部下がそれに気づいたとき、モチベーションは一気に下がってしまいます。
そもそも、生徒や部下の成長を真剣に望まない人が、先生や上司になってはいけないのです。人を育成するには、相当の覚悟と信念をもって取り組まなければなりません。
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